2009年12月6日日曜日

想いに応えられなかったことが心残り

横浜FCは、谷真一郎(たに・しんいちろう)フィジカルコーチが「2009シーズンをもって、退団」すると発表した。谷コーチは、08シーズンに都並敏史前監督とともに、仙台からスタッフ入りしていた。岸野「新監督のフィジカルコーチ招聘に伴い退団」することになった。→オフィシャルサイト/横浜家の人々

一生懸命プロの仕事をしたい

横浜FCは、2010シーズンの新監督として、岸野靖之(きしの・やすゆき)氏の「就任が決定」したと発表した。岸野新監督は、91年にヴェルディの下部組織の監督として指導者となり、ヴェルディのトップチームのコーチを経て、05年にJ2鳥栖のコーチ、07年に同監督に就任した。09年は昇格争いの末、リーグ戦で5位の好成績だったが、チームより「実績に見合う年俸が用意できない、監督が希望する練習場やクラブハウスの整備が難しい、日本サッカー界のため新しい環境で才能を伸ばしてほしい」との理由で、契約を更新されなかった。岸野監督、ようこそ横浜FCへ。私たちの大事なチームをよろしくお願いいたします。→オフィシャルサイト/移籍情報

2009年12月5日土曜日

1年間掛けて選手たちに伝えてきた一端

第51節・福岡戦後の監督記者会見で、樋口監督は、前半こそ選手たちが固くなってよい形がつくれなかったが、後半開始から2得点目をとったあたりまで、今季狙いとしていた「選手1人1人の距離がよくなって、良い奪いかたができるようになり、奪ったボールをしっかりと動かしながら相手に食いつかせて最後突破していく形を見せてくれた」と評価した。 →J's GOAL

第51節・勝ちきれないシーズン

091205  J2リーグ第51節、横浜FCは、大久保哲哉と中島崇典を先発フル出場させたアビスパ福岡とホーム・横浜国際総合競技場で対戦、2-2(前半:1-1、後半:1-1)で引き分けました。19分にエデル#30のハンドの判定に足が止まってしまった隙をつかれ、素早いリスタートから抜け出した大久保哲哉に先制点を奪われてしまいます。39分に、再三惜しいフリーキックで魅せていた三浦淳#17の左コーナーキックを、早川#2が綺麗に頭にで合わせて同点。さらに、72分、退団が発表された鄭容臺#29のヘッドからのカウンターで抜け出した難波#19がゴールキーパーをかわして勝ち越し弾を決めてくれました。83分には、ツートップのうちのひとりエデル#30に代えて退団が決まっている吉本#7をアンカーとして投入し、4-1-4-1の守備的布陣で勝ち逃げを狙います。さらに、退団の花道として控えのゴールキーパーとしてベンチ入りしていたGK小山#1にも交代の準備をさせますが、87分、福岡の猛攻に耐えられず同点弾を決められてしまいました。89分に三浦知#11を投入、ロスタイムにアンヒョヨン#10も準備させますが、追加点を奪えないまま試合終了。今シーズンを象徴するかのように、最終節でも勝ちきることができませんでした。横浜FCは、11勝29敗11分43得点70失点の得失点差-27で18チーム中の16位で09シーズン51節の長丁場を終えました。選手、スタッフ、そして横浜FCに関わるすべての方々、1年お疲れ様でした。また来シーズン優勝を目指して戦いましょう。

出場選手:
GK 大久保#21
DF 田中#14
DF 戸川#4
DF 早川#2
DF 片山#13
MF 根占#24
MF 鄭容臺#29
MF 西田#18
MF 三浦淳#17 >>> 89分 MF 三浦知#11
FW 難波#19
FW エデル#30 >>> 83分 DF 吉本#7

リザーブ:小山#1、吉田#6、アンヒョヨン#10

得点:39分 早川#2(今季3得点目・頭)、72分 難波#19(今季8得点目・右足)
失点:19分 大久保哲哉、87分 黒部

警告:35分 難波#19(今季5枚目)
退場:なし



ご投票お願いいたします。

2009年12月4日金曜日

功作がフロント入り

Jinnos   横浜FCは、神野卓哉(じんの・たくや)強化ディレクターの退任と、強化担当として増田功作(ますだ・こうさく)氏のフロント入りを発表した。神野は、01年7月に横浜FCにフォワードとして加入。03シーズンに選手引退し強化担当に就任していた。増田は、横浜FC創立時のメンバーで、04年まで中心選手として活躍。選手引退後は、横浜FCのスクールでもコーチを務めていた。 →オフィシャルサイト

2009年12月3日木曜日

まだ、横浜にお別れはいいません

 横浜FCのミッドフィルダー須藤右介(すどう・ゆうすけ)#25選手がご自身のブログで「非常に残念ですが約2年お世話になりました横浜FCと来期は契約しないことになりました」と報告した。07シーズンにJ1名古屋から期限付き移籍加入した須藤#25は、ヴェルディユース時代に都並前監督の指導を受けた183cm・78kgの大型ミッドフィルダー。07年はリーグ戦で9試合483分の出場だったが、08年はボランチ・右サイドハーフとして、これまで29試合1686分の出場、三浦淳#17に次ぐプレースキッカーとしても活躍した。29節・鳥栖戦の0-3での完敗以降は、小野#8の怪我からの復帰もあり出場機会が激減していた。同ブログで須藤#25は、最終節・福岡戦で「最後まで僕は横浜FCの選手であるという誇りを持って闘います」と決意を表明した。 →須藤右介(横浜FC)オフィシャルブログ

9選手と契約非更新


横浜FCは、小山健二(こやま・けんじ)#1選手、八田康介(やつだ・こうすけ)#3選手、吉本岳史(よしもと・たかふみ)#7選手、加藤大志(かとう・だいし)#15選手、御給匠(ごきゅう・しょう)#20選手、須藤右介(すどう・ゆうすけ)#25選手、鈴木寿毅(すずき・としき)#28選手、鄭容臺(ちょん・よんで)#29選手、飯田健巳(いいだ・たつみ)#31選手と「来季の契約を更新しないこととなりました」と発表した。 →オフィシャルサイト/横浜FC移籍情報

2009年12月2日水曜日

渾身の一撃

 Jリーグファンサイト「J’s Goal」のStats StadiumによるJ2リーグ第50節のベストイレブンに、60分に素晴らしい軌道でフリーキックを直接決めた三浦淳宏(みうら・あつひろ)#17選手と、キャプテンとして先発フル出場したセンターバック・戸川健太(とがわ・けんた)#4選手が選ばれた。戸川#4の受賞は、23節・札幌戦に続き今季2度目。対戦相手の札幌からはハファエルが選出された。→J’s Goal



2009年12月1日火曜日

シンギが選手引退

Onos  横浜FC創立時のメンバーで、JFL北九州のJリーグ入会に貢献したミッドフィルダー・小野信義(おの・しんぎ)選手が、ご自身のブログで「今シーズンをもって…、引退します。」と選手引退を発表した。横浜FC創立時からのメンバーで、FW、トップ下、サイドMF、ボランチをこなすユーティリープレーヤーである小野は、テクニシャンである一方、当初はスタミナに不安があり酷評されもしたが、00シーズン終了後、栄養士だった奥様とご結婚し、プレーヤーとしても飛躍的に進化を遂げた。信籐監督のもと2-4-4の超攻撃的布陣で望んだ01シーズンはFWとして14得点を挙げてチーム得点王に。03シーズンには、後藤義一の選手引退に伴いキャプテンに就任し、リティから託されたドイツ代表のキャプテンマークを巻き奮闘した。05シーズン終了後、チームから非継続選手として発表され、キャプテンマークを巻いてフル出場した最終節では、別れを惜しむサポによって信義の背番号である「18」の大きな旗がバックスタンドに掲示された。本人は「皆(環境的な部分で)辛いと言っていたが、自分自身はそんなに辛いと思ったことはない。離れる事になった時の方が辛かった(笑)」と告白し、サポの涙腺を緩ませた。06年からは、当時、北九州リーグに所属していたニューウェーブ北九州で、コーチ兼選手として活躍。07年のJFL昇格決定、09年のJ2入会決定に貢献した。
シンギ、17年間お疲れ様でした。私たちと一緒に戦ってくれた日々は心の中に深く残っています。特に、05年11月9日の天皇杯4回戦・ガンバ戦・94分の勝ち越しゴールはスローモーションのようにまぶたに焼き付いています。北九州に移籍されたあとも、横浜を気にかけてくれて、度々試合を見に来てくれていましたよね。また、違う立場で一緒に戦える日が来ることをこころから楽しみにしています。 →小野信義(ニューウェーブ北九州)オフィシャルブログ

ヨンデ、再び去る…

 横浜FCのMF・鄭容臺(ちょんよんで)#29選手が、ご自身のブログで、「横浜FCとの来季契約について契約延長しないことを伝えられました」と発表した。06シーズンに名古屋から横浜FCに移籍加入した鄭容臺#29は、ボランチ・センターバックとしてJ2優勝・J1昇格に貢献。J1の07年は怪我や出場機会が減っていたこともあり、07年9月からJ2札幌に期限付き移籍を決断し、札幌のJ1昇格にも貢献した。08年にJ1札幌に完全移籍したが、チームがJ2に降格し、契約満了で退団。09年4月に守備力のある中盤が不足していた横浜FCへ再加入した。チームの成績が振るわないなか、熱いプレーでチームを鼓舞。リーグ戦では、38試合3,128分出場し、中心選手として活躍した。ヨンデ、あなたが横浜に戻ってきてくれて本当にうれしかったです。再びチームを去ることになってしまい、とても残念ですが、また一緒に闘えることのできる日が来ることを楽しみにしています。ありがとうございました。 →チョン・ヨンデ(横浜FC)オフィシャルブログ