2008年12月31日水曜日

2008年間MIPは池元友樹選手

 「しゅりんぷと横浜FC」主催、MIP投票所「一節一票(笑)」で、2008シーズンのMIPは池元友樹(いけもと・ともき)#20選手が受賞となりました。投票総数359票。皆様のたくさんの投票ありがとうございました。
 1位の池元友樹(いけもと・ともき)#20選手は、J2リーグ32試合に出場し、7得点。今季加入した新戦力は、攻撃の形が見えてこないチームのなかで、スピードと得点感覚で攻撃のアクセントとなり、我々を魅了してくれました。圧巻は27節・福岡戦(2得点)、28節・広島戦(1得点)、29節・セレッソ戦(2得点)と3試合連続ゴールで5得点の活躍でした。J1柏から期限付き移籍してきたストライカーの去就はまだ発表されていませんが、来季も我々と一緒に戦って欲しいです。2位の難波宏明(なんば・ひろあき)#19選手は、25試合出場し6得点。3位のアンデルソン(ANDERSON Andrade Antunes)#9選手は36試合出場し16得点。個人技でゴールを生み出すフォワードの選手が上位をしめ、勝利に繋がるゴールへの渇望を象徴するような投票結果となりました。
 今シーズンの横浜FCのチームスローガンは「夢のJ1は終わった。リアルなJ1への挑戦が始まる。」でした。「1年でのJ1復帰」と「J1に定着できるチーム作り」を目標に1年戦ってきましたが、決して満足のできる結果ではありませんでした。もう一度、日本最高峰のリーグで戦うため、06シーズンのように横浜FCに関わるすべての人々が一丸となって、J2優勝で昇格を成し遂げましょう。
 なお、当投票では、対象選手が「出場選手」に限られていること、MVPではなくMIPで「もっとも印象に残った選手」という曖昧な基準のため投票者に様々な解釈ができるようになっていますので、実際の選手の貢献度やパフォーマンスを評価するものではありません。年間コンスタントに出場すること、熱狂的なファンがいること、ゴールを決める(決めさせない)こと等、が得票の大きな要素になり、いぶし銀の活躍をしている選手や、出場機会が少なくても素晴らしいプレーをしている選手の得票が比較的少なくなる傾向は否めません。ただ、プロの選手として、応援している人々の「印象に残る」ということは、とても素晴らしいことだと考えます。来年もシーズン開幕からMIP投票を再開しますので、是非、皆様ご協力の程よろしくお願いいたしますm(_ _)m。



りゅーじ、初戦敗退

第87回全国高校サッカー選手権大会・1回戦で、横浜FCに09シーズン新加入が内定している伊藤竜司(いとう・りゅうじ)選手が、広島皆実(広島)戦に帝京高校(東京A)の選手として、先発フル出場した。45分に警告。チームはスコアレスドーローでPK戦の末、4-5で敗退した。

2008年12月30日火曜日

11月+12月の月間MIP発表

 「しゅりんぷと横浜FC」主催、第67回横浜FC・MIP投票所「一節一票(笑)」で、11月と12月の合計月間MIPに、難波宏明(なんば・ひろあき)#19選手が選ばれました。11月+12月の戦績は、2勝1敗2分。天皇杯は敗退したものの、リーグ戦では無敗でシーズンを終了しました。 →一節一票(笑)



2008年12月29日月曜日

それぞれの天皇杯・準決勝

第88回天皇杯全日本サッカー選手権の準決勝戦、菅野孝憲(先発フル出場)のJ1柏は、J1FC東京に2-1で勝利し、元旦の決勝・ガンバ大阪戦進出を決めた。→かんばれ!うちの子達

こーすけ劇場、移転

6  横浜FCは、太田宏介(おおた・こうすけ)#6選手の「清水エスパルスへの完全移籍が決定」したと発表した。06シーズンより麻布大学付属淵野辺高等学校より新加入した太田#26は、高校時代は左サイドの攻撃的な選手だったが、横浜FCに加入後に左サイドバックとしてコンバートされ、2006J2第20節・山形戦の88分より途中出場し、公式戦デビューを果たした。07シーズンの序盤、高木琢也監督の下で、俊足と1対1の強さを買われセンターバックとしてレギュラーの座を掴み、7月のFIFA・U-20ワールドカップカナダ2007のU-20日本代表の最終メンバーにも選出。予選リーグ第3節・ナイジェリア戦で左サイドバックとして先発フル出場を果たし、大きな経験を積んだ。ジュリオ・レアル監督に左サイドバックに戻され、08シーズンは元日本代表の左サイドバック・都並敏史監督の直接指導の下、今季は31試合に出場し、スピードに乗った左サイドの突破からの精確なセンターリングでチャンスを演出した。また、横浜FCに関わるすべての人々の一体感を選手の立場から作り上げようと、試合終了後にゴール裏でマイクパフォーマンスを行ったが、「こーすけ劇場」と呼ばれサポに愛された。こーすけ、今まで横浜FCを支えてくれてありがとう。来季、一緒に戦えなくなることが、とても寂しいです。また、いつの日か一緒に戦える日を心待ちにしています。新天地での活躍、心からお祈りしております。 →オフィシャルサイト/移籍情報

2008年12月25日木曜日

それぞれの天皇杯・準々決勝2日目結果

第88回天皇杯全日本サッカー選手権の準々決勝戦2日目、喜熨斗勝史フィジカルコーチ率いる広野耕一(サブ)のJ1名古屋は、J1ガンバ大阪に1-2で敗退した。→かんばれ!うちの子達

代表守護神への道

 日本サッカー協会は、2009年1月10日(土)~1月20日(火)の期間カタールで開催される「カタール国際親善大会2009」出場のU-20日本代表に横浜FCのGK大久保拓生(おおくぼ・たくお)#31選手を選出した。総監督に岡田武史フル代表監督を迎えた新生U-20日本代表は、1月11日にチュニジア代表、13日にUAE代表、15日にセルビア代表と、18日と20日に行われる決勝トーナメント進出をかけてグループリーグを戦う。 →JFA

2008年12月24日水曜日

オムさんが、選手引退

 ガイナーレ鳥取(JFL)は、07シーズンに横浜FCを退団したベテランディフェンダー・小村徳男(おむら・のりお)選手が、選手を引退すると発表した。小村は、06シーズン8月にトゥイードの帰国退団、早川の負傷で手薄になったセンターバックの補強としてJ1広島から横浜FCに期限付き移籍加入。加入後即のスタメンで魂のこもった守備を披露し、あっという間にチームの柱となり、リーグ優勝とJ1昇格に多大な貢献をした。2006J2第45節・札幌戦では、膠着状態が続いていた29分に、アウグストの右コーナーキックを、ファーサイドから高い打点のヘッドで先制点を決めた。J2で15試合、完全移籍加入した07シーズンはJ1で14試合・ヤマザキナビスコ杯に1試合出場したが、同シーズン終了後に契約満了で惜しまれながら退団。今シーズンは、JFLのガイナーレ鳥取で、キャプテンとしてJリーグ入会を目指したが、リーグ4位となり昇格を達成できなかった。オムさん、今までお疲れ様でした。あなたと勝ち取ったJ2優勝とJ1昇格は素晴らしい思い出です。今後、新しい世界でのご活躍、心からお祈りしております。→かんばれ!うちの子達

2008年12月23日火曜日

契約更新状況発表その2


横浜FCは、八田康介(やつだ・こうすけ)#3、吉本岳史(よしもと・たかふみ)#7、御給匠(ごきゅう・しょう)#16、岩丸史也(いわまる・ふみや)#21と、09シーズンの契約を更新したと発表した。現在、契約更新が11選手、新加入が3選手、移籍加入が3選手の計17選手が09シーズンの戦力として確定しています。 →オフィシャルサイト/ざ・すとーぶりーぐ

2008年12月22日月曜日

ヤマさん、功労賞受賞

 Jリーグは、2008Jリーグアウォーズで、2007年に横浜FCで選手引退した山口素弘(やまぐち・もとひろ)氏に「功労選手賞」を授与した。功労選手賞は、「所属クラブから推薦」があり、特定大会の「合計試合出場数が500試合以上の者」の中で、「Jリーグおよび日本サッカーの発展のために貢献をしたと認められる者」を表彰する。 →Jリーグ公式サイト

2008年12月21日日曜日

ダイシが加入

横浜FCは、2009シーズンの新戦力としてJ1京都の加藤大志(かとう・だいし)選手が「完全移籍加入することが決定」したと発表した。165cm・60kgの加藤は、スピードと運動量を兼ね備えた右サイドアタッカー。02年に湘南に加入、05シーズンから京都に移籍。横浜FCとは、J2湘南在籍時に、2002J2第42節(1-3)にフルタイム、2003J2第31節(1-1)に吉野智行に代わって後半から、2004J2の第2節(1-1)に54分から、第17節(1-0)に先発し66分まで、第32節(0-0)に76分から、第43節(3-2)にはフルタイム、主に右サイドバック、右サイドハーフとして出場。J2京都在籍時に、2005J2第11節(1-2)に66分から、第19節(0-1)に74分から、第29節(1-1)に64分から、スーパーサブとして出場している。今月1日にJ1京都から契約期間満了による退団が発表されており、加藤は「横浜FCに一番最初に誘ってもらい、とても感謝しています」とコメントした。加藤選手、ようこそ横浜FCへ。活躍期待してます! →オフィシャルサイト/ざ・すとーぶりーぐ/大志のミーティングルーム

2008年12月20日土曜日

それぞれの天皇杯・準々決勝1日目結果

第88回天皇杯全日本サッカー選手権の準々決勝戦1日目、菅野孝憲(先発フル出場)のJ1柏はJ2広島に延長の末3-2で勝利し、12月29日の準決勝への進出を決めた。マルコス・パウロ(サブ)のJ1清水はFC東京に1-2で敗退した。→かんばれ!うちの子達

2008年12月19日金曜日

2009J2リーグは51試合

Jリーグは、2009J2リーグ戦の日程を発表した。開幕戦は3月7日(土)か8日(日)で、12月5日(土)に最終節を戦う。なお、09シーズンのJ2リーグは、J1に昇格した広島と山形の代わりに、J1から札幌とヴェルディ、JFLから栃木、富山、岡山が加わり、横浜FCは、札幌、仙台、栃木、草津、水戸、ヴェルディ、湘南、甲府、富山、岐阜、セレッソ、岡山、徳島、愛媛、福岡、鳥栖、熊本の17チームと3回戦総当りで、リーグ史上最長となる51節の長丁場を戦うことになった。→Jリーグ公式サイト

カタが加入

横浜FCは、J1名古屋所属の片山奨典(かたやま・しょうすけ)選手が「完全移籍加入することが決定」したと発表した。 169cm・68kg・25歳の片山は、国見高校から国士舘大学を経てJ1名古屋へ。08シーズンはリーグ戦で15試合出場し1得点。主に左サイドのウイングバックとして活躍していた。片山選手、ようこそ、横浜FCへ。活躍期待しております。 →ざ・すとーぷりーぐ/名古屋グランパスOfficial Web Site/オフィシャルサイト

右介が完全移籍加入

 横浜FCは、08シーズンにJ1名古屋から期限付き移籍していた須藤右介(すどう・ゆうすけ)#25選手が「2009シーズンより完全移籍加入することが決定」したと発表した。 →ざ・すとーぷりーぐ/名古屋グランパスOfficial Web Site/オフィシャルサイト

エリゼウ、J2仙台へ

5 J2仙台は、エリゼウ(ELIZEU Ferreira Marciano)選手が「完全移籍加入することに決定」したと発表した。今期、クリシューマ(ブラジル)より移籍加入したエリゼウは、レギュラーとして37試合に出場したが、今月1日に契約非継続が発表されていた。エリゼウ、新天地決定おめでとうございます。来期は敵としてシーズンを戦うことになってしまいましたね。横浜戦以外での活躍お祈りしております。 →VEGALTA SENDAI OFFICAL WEB SITE

スンジン、帰らず

横浜FCは、08シーズンにJ2草津に期限付き移籍していたペ・スンジン(裵乗振/Bae Seung Jin)選手と「契約満了に伴い当クラブと来季の契約を更新しない」と発表した。スンジンは、07シーズンの5月に蔚山大学から新加入。当時はU-20韓国代表キャプテンも勤めていた。横浜FCでは、サテライトの試合に出場するも、公式戦での出場機会はなかった。スンジン、新天地でのご活躍お祈りしております。 →オフィシャルサイト

2008年12月17日水曜日

チーム史上初、契約更新状況発表


横浜FCは、小山健二(こやま・けんじ)#1、難波宏明(なんば・ひろあき)#19、吉田正樹(よしだ・まさき)#22、根占真伍(ねじめ・しんご)#24、中田健太郎(なかた・けんたろう)#26、中野裕太(なかの・ゆうた)#27、大久保拓生(おおくぼ・たくお)#31と、09シーズンの契約を更新したと発表した。横浜FCが、12月に移籍加入・転出を伴わない選手の契約更新状況を発表するのはチーム史上初。 →オフィシャルサイト/ざ・すとーぶりーぐ

新天地を求めて2008

15日と16日に長居陸上競技場でJリーグ選手協会とJリーグが、Jリーグ合同トライアウトを共同開催、横浜FCからは、12月に契約非継続選手として発表された中田洋介#8、長谷川太郎#15、山田卓也#32の3選手が参加。また、かつて横浜FCに所属した吉武剛(ヴェルディ)、河野淳吾(徳島)、玉乃淳(徳島)も参加した。 →Jリーグ選手協会/がんばれ!うちの子達

2008年12月14日日曜日

誕生・樋口横浜

横浜FCは、09シーズン新監督として、樋口靖洋(ひぐち・やすひろ)氏(の「就任が決定」したと発表した。三重県出身で47歳の樋口新監督は、85年より指導者に転身し、99年からJ1マリノスのコーチ、06年からJ2山形の監督を経て、08シーズンからJ1大宮の監督に就任し、チームのJ1残留に貢献した。監督就任にあたり、「アグレッシブなサッカーを展開し、J1に定着して戦える様なチーム作りを目指」すとコメントした。ようこそ、樋口監督。私たちの大事なチームと選手たちをよろしくお願いします。一緒にJ1に行きましょう。 →オフィシャルサイト

2008年12月13日土曜日

2009J2リーグ参戦チーム決定

J1・J2入れ替え戦で、1敗1分けの仙台のJ2残留が決定。横浜FCは、09シーズンのJ2リーグで、札幌、仙台、水戸、栃木、草津、ヴェルディ、湘南、甲府、富山、岐阜、セレッソ、岡山、愛媛、徳島、福岡、鳥栖、熊本の17チームとJ1昇格をかけて戦うことになった。 →Jリーグ公式サイト

2008年12月11日木曜日

アドピン、世界一に挑戦

FIFAクラブワールドカップ・ジャパン2008・開幕戦・アデレード・ユナイテッドFC(AFL・アジア準優勝)戦で、ワイタケレ・ユナイテッド(オセアニア代表・ニュージーランド)のアドリアーノ・ピメンタ(Adriano Faria Pimenta)が、75分から出場を果たした。チームは1-2で敗退した。07シーズン6月に横浜FCを退団したアドリアーノは、期限付き移籍元のFCトゥーンに復帰した後、CAブラガンチーノ(ブラジル)を経て、かつて田中洋明が所属していたワイタケレに今年の10月20日から加入していた。→がんばれ!うちの子達

2008年12月8日月曜日

ありがとう、ヤマタク#32

32 山田卓也(やまだ・たくや)#32選手は、07シーズン6月に初J1で低迷するチームを立て直すべくセレッソ大阪から加入したユーティリティプレーヤー。今季は31試合2,593分出場、4得点・1警告の実績だった。加入1年目は、横浜FCデビューしたJ1第14節・ガンバ戦から優勝を阻止した最終節・浦和戦まで20試合もの間、リーグ勝点3を勝ち取ることができず悔しい思いを共有した。キャプテンに就任した今季は、闘志を前面に出したプレーでチームメイトを鼓舞。右サイドのみならず、ボランチ、センターバックなど指揮官が配置したすべてポジションにおいて全力で戦い続けた。山田キャプテン、昨年同様、とても苦しい時期に横浜FCをキャプテンとして横浜FCを支えていただき、ありがとうございました。まだまだあなたと一緒に闘いJ1再昇格を果たしたかったのですが、志半ばでお別れしなくてはならないと思うと、無念でなりません。今後のご活躍をお祈りしております。



ありがとう、太郎#15

15  長谷川太郎(はせがわ・たろう)#15選手は、07シーズンに甲府から加入。166cm・67kgと小柄ながら、スピードを武器とし得点嗅覚に優れたストライカー。今季は14試合462分出場し、無得点・1警告の実績だった。開幕でスタメンの座を掴み、第3節まで先発出場。その後はスーパーサブとして起用されたが、アンデルソン#9、三浦知#11、チョ・ヨンチョル#14、御給#16、難波#19、池元#20というチーム内での激しいポジション争いの中、ストライカーとしてゴールという結果を出せず、出場機会を失っていった。太郎、今季、横浜FCを支えていただきありがとうございました。今後のご活躍をお祈りしております。



2008年12月7日日曜日

ありがとう、タッキー#13

13 滝澤邦彦(たきざわ・くにひこ)#13選手は、06年6月にJ1千葉から移籍してきた左サイドを主戦場とするミッドフィルダー。今季はチーム最多の39試合2,751分に出場し、無得点2警告の実績だった。横浜FCデビュー後2戦目となった06J2第27節・鳥栖戦では、膠着状態だった80分から左サイドに投入され、瞬間の爆発的なスピードで相手を置き去りにすると、ルイス・アウグストとのワンツーからゴール前に侵入、そのまま左足を振りぬきビューティフルゴールを決め、サポの心を鷲掴みに。そのまま、怪我がちだったルイス・アウグストを補ってあまりある活躍を見せ、J2優勝J1昇格に大いに貢献した。07シーズンJ1では、高木監督のもとで、左サイドの突破と精確なクロスで奮闘、ジュリオ・レアル監督のもとではボランチとしても新境地を開いた。今季は、左サイドに復帰し、左サイドバックに起用された三浦淳#17、吉本#7、根占#24、太田#6とのコンビネーションの成熟に腐心したが、高い個人技から単独で場面を打開する場面も少なくなかった。タッキー、あなたと掴んだJ1昇格はとても素晴らしい思い出です。その後の2年はお互い辛く厳しいシーズンでしたが、あなたと一緒に戦えたことを誇りに思っています。今後の活躍を心からお祈りしております。ありがとうございました。



ありがとう、アンディ#9

9 アンデルソン(Anderson Andrade Antunes)#9選手は、08シーズンよりサガン鳥栖から移籍加入したブラジル人ストライカー。今季は36試合2,724分出場し、チーム得点王・リーグ得点ランキング6位の16得点・7警告の実績だった。第2節・湘南戦と第11節・熊本戦と2度もハットトリックを決めるなど、驚異的な決定力でリーグ序盤はエースストライカーとしてチームを牽引した。結果を出すごとに相手からの数人掛りの徹底マークをうけ思い通りのプレーができなくなって、苛立ちが募っていく。第19節・仙台戦では「調子が悪くなると自分で持ちすぎて、味方のサポートを無駄にしてしまうという悪い癖」が出たと指揮官に先発しながらも前半で交代させられてしまった。21節から再び先発に復帰し、チャンスメークも意識してやるようになり、チーム力は向上したが、彼の個人の爆発的な攻撃力は影を潜めてしまうことになった。中田洋#8と同様、国立で行われた39節セレッソ戦に出場するも、今節で数字的に昇格の可能性がなくなると、リーグ戦では出場機会が激減していた。アンディ#9、あなたのゴールに我々は16度も歓喜の声をあげさせてもらいました。来季、一緒に戦えなくなるのが寂しいです。今後のご活躍お祈りしております。



ありがとう、洋介#8

8  中田洋介(なかた・ようすけ)#8選手は、08シーズよりベガルタ仙台より移籍加入した攻撃的な右サイドバック。今季は、28試合2,386分出場し無得点・3警告の実績だった。右サイドをウイング張りに攻め込みチャンスを演出した。都並監督の仙台監督時代に重用した選手のひとりで、都並戦術を理解する者として活躍が期待されたが、チームの成績が悪くなると監督とセットで批判されたこともあった。開幕からスタメンを勤めるが、16節・湘南戦(1-4)の大敗後の17~19節と、33節山形戦(1-4)の大敗後の33~38節で、ポジションをルーキー吉田正樹#22に奪われ、国立で行われた39節セレッソ戦に出場するも、今節で数字的に昇格の可能性がなくなると、リーグ戦では出場機会を失っていた。洋介#8、今まで横浜FCを支えてくれて、ありがとう。今後の活躍、お祈りしております。



ありがとう、エリゼウ#5

5  エリゼウ(ELIZEU Ferreira Marciano)#5選手は、08シーズンよりクリシューマ(ブラジル)より移籍加入したブラジル人選手。今季は37試合3,203分出場し3得点・4警告の実績だった。加入当初はボランチだったが、7節・山形戦で「ボール捌きにミスが多い」と都並監督にセンターバックに配置されたり、センターバックだと最終ラインが深くなる「ブラジル式サッカーをしてしま」うからとボランチに戻されたり悩める指揮官に翻弄されたが、広い守備範囲で相手の攻撃の芽を摘み、ゴール前では強靭なフィジカルでシュートを弾き返し続けた。16節・湘南戦で負傷退場してから戦列を離れ、センターバックとして復活した22節・愛媛戦まで6試合勝利なく、この時期のエリゼウ#5不在がチームから安定感を奪い、最終成績にも響いたのかもしれない。その後は不動のセンターバックとして奮闘したが、チームの攻撃力の向上が見られず、チーム状態は上向くことがなかった。最終節・甲府戦では68分から中盤として途中出場、右サイドに回されたり、アンカーに戻ったりと指揮官の意向を体現しようと奮闘していた。試合終了後、あなたの流した涙を忘れません。エリゼウ#5、横浜FCを支えてくれてありがとう。新天地でのご活躍お祈りしております。



横浜FCベストマッチ2008投票開始

横浜FCベストマッチ投票

 「しゅりんぷと横浜FC」では、03シーズン04シーズン05シーズン06シーズン07シーズンに引き続き、「横浜FC・ベストマッチ投票」を行います。 横浜FCは、「一年でのJ1復帰」を目指したにもかかわらず、11勝14敗17分という成績で、昇格争いにも絡めぬまま2008J1リーグを15チーム中で10位で終了しました。天皇杯も、J1新潟相手に4回戦敗退。非常に残念な1年となりましたが、今年も心に残る試合があったと思います。「あなたにとって」のベストマッチをひとつだけ投票してください。また、選考理由とお名前(ハンドルネーム可)もコメント欄に記入していただけるとうれしく思います。応募期間は、12月7日(日)~12月末予定。たくさんのご応募お待ちしております。 →ベストマッチ2007/ベストマッチ2006/ベストマッチ2005/ベストマッチ2004/ベストマッチ2003



2008年12月6日土曜日

10年継続表彰

横浜FCは、J2リーグ最終節・甲府戦の試合会場で、08シーズンまで横浜FCを継続して10年間支え続けたクラブメンバー(旧ソシオ・フリエスタ)を表彰され、しゅりんぷを含め498人がメインスタンド中央の特別席に招待された。記念の名刺大のカードには、試合終了後の挨拶の際、成績不振から今年も大ブーイングを受けた奥寺康彦会長の「10年間本当にありがとうございます これからもよろしくお願いいたします」とのメッセージが書かれていた。

チーム史上初、公式クラブマスコット誕生

横浜FCは、横浜FCオフィシャルクラブマスコットのデザインを発表した。「クラブの立ち上げにかかわったすべての熱い思いを守り、横浜FCの影の応援リーダーであるとともに、くじけそうになったときは、すべての人々に力をあたえます」。モチーフは「宇宙人」。今月14日を締め切りとしてオフィシャルサイト上で名前を公募し、来年1月の新体制発表記者会見で公式デビューする予定。一方、かねてから公式マスコットに立候補していたなかじじ氏は、「自分にはオファーがなかった」と残念がった(笑)。→オフィシャルサイト

今年1年足りないものがまだまだあった

 第45節・甲府戦後の監督記者会見で、都並監督は、「悪い試合ではなかったし、みんな頑張ったけれどもやはり勝ちきれなかった」と評価。「相手よりも気持ち、戦術、体力、気力全て勝った時に初めて勝利が転がってくるし運も付いてくる」ので、そのなかで今節足りなかったもの感じるべきだと語った。 →J’s Goal

第45節・最後も勝てない

080608 J2リーグ第45節、横浜FCは、ヴァンフォーレ甲府とホーム・ニッパツ三ツ沢球技場で対戦、0-0(前半:0-0、後半:0-0)で引き分けました。人数をかけた守備は個々の選手のがんばりで失点を許さないものの、攻撃は難波#19の突破かセットプレー頼み。攻撃のバリエーションが絶望的に少なくチャンスは単発。今シーズンを象徴するスコアレスドローでした。11勝14敗17分勝点50の10位でシーズンを終了。

出場選手:
GK 岩丸#21
DF 吉田#22
DF 戸川#4
DF 八田#3
DF 太田#6
MF 八角#23 >>> 68分 DF エリゼウ#5
MF 山田#32
MF 根占#24 >>>84分 FW 長谷川#15
MF 三浦淳#17
FW 御給#16 >>> HT FW アンデルソン#9
FW 難波#19

リザーブ:大久保#31、須藤#25

得点:なし
失点:なし

警告:18分 太田#6(今季5枚目)、19分 八田#3(今季3枚目)、40分 八角#24(今季1枚目)、79分 エリゼウ#5(今季4枚目)
退場:なし


ご投票お願いいたします。

2008年12月5日金曜日

オヤジ後藤が退任

横浜FCは、ユースの後藤義一(ごとう・よしかず)監督と、「契約満了に伴い、2009年度の契約を更新しない」と発表した。99年横浜FC創立時のメンバーの後藤は、横浜FC二代目キャプテンで、04シーズンに2度目の選手引退後、横浜FCの下部組織を支え続けてきた。 →オフィシャルサイト

2008年12月3日水曜日

吉田#22初選出

 Jリーグファンサイト「J’s Goal」のStats StadiumによるJ2リーグ第44節のベストイレブンに、右サイドバックとして先発フル出場した吉田正樹(よしだ・まさき)#22選手が選ばれた。対戦相手の水戸からは選出されなかった。→J’s Goal

最終節にむけて2

横浜FCは、川崎フロンターレと麻生グラウンドで練習試合を行い、1-0(1本目:1-0、2本目:0-1)で引分けました。得点は、41分にアンデルソン#9。 →オフィシャルサイト

出場選手:1本目:小山#1、中田洋#8、八田#3、戸川#5、太田#6、八角#23、山田#32、根占#24、三浦淳#17(39分→長谷川#15)、難波#19、御給#16(39分→アンデルソン#9)
2本目:小山#1、中田洋#8(61分→池元#20)、エリゼウ#5、吉本#7、中田健#26、滝澤#13、須藤#25、三浦知#11、チョ・ヨンチョル#14、長谷川#15、アンデルソン#9(66分→中野#27)

2008年12月1日月曜日

主力放出…


 横浜FCは、エリゼウ(ELIZEU Ferreira Marciano)#5選手、中田洋介(なかた・ようすけ)#8選手、アンデルソン(Anderson Andrade Antunes)#9選手、滝澤邦彦(たきざわ・くにひこ)#13選手、長谷川太郎(はせがわ・たろう)#15選手、山田卓也(やまだ・たくや)#32選手と「契約満了に伴い当クラブと来季の契約を更新しないことが決定」したと発表した…。



2009J2リーグは18チーム

Jリーグは臨時理事会を開催し、日本サッカーリーグ(JFL)の、阪倉裕二ヘッドコーチ率いる松田正俊の栃木SC、吉岡聡のカターレ富山とファジアーノ岡山のJリーグ加入を正式に承認した。また、2008J2リーグで2位となった北村知隆のモンテディオ山形のJ1昇格も認められた。 →Jリーグ/がんばれ!うちの子達/横浜家の人々